時代の流れに姿を変える新年の挨拶文化

今年も十月を過ぎ、毎年やってくる恒例行事でもある年賀状宛名書きの季節が近づいている。

私も小学校時代には、授業の中で「年賀状の書き方」について基本的なことを習ったのを覚えている。その当時は、毎年来年のための挨拶として、どこの家も必ず行う恒例行事だと教えられたものだ。

ところが私は、ここ数年ほどに渡って年賀状を書いた覚えがないのである。そして私の地元の友人に聞いても誰も書いていないという。事実、年賀状発行枚数も2000年ころを区切りとして減少傾向にあるようなのだ。これは一体どうした理由であろうか。

私は情報伝達媒体の変化だと考える。携帯電話の急速な普及で、いつでもどこでも会話ができるようになった。さらに電子メールも携帯電話から送受信することができるため、これまで行われてきた紙面媒体での情報伝達の文化がなくなりつつあるためであろう。

従って、私が幼いころから当たり前だと思っていた新年の挨拶である年賀状は、過去の文化の遺産としての骨董的立場へと姿を変えていくであろう。やはり何か物寂しい気持ちになるのである。

今や、年賀状の大半は、プリンターで印刷されたものがほとんどで、版画や筆の年賀状は、滅多に見ることができません。

それも困ったことに子供の写真だけ印刷してある年賀状が多く、送り主のイメージが湧かない年賀状が、たくさんあります。もらった方は、知り合いである本人の近況を知りたいのであって、子供の写真を送られて来ても、戸惑うばかりです。

そうはいうものの、私も数年前までは、家族旅行のついでに撮った自分の子供の写真を印刷して送っていました。多分に、今私が思っている不満を、送られた側は感じていたのだと思います。
そのような反省を踏まえ、私は子供の写真は送るものの、隠し絵のように気にならないように送ることにしました。

子供の写真を小さくコラージュにして、干支の漢字を作ることにしました。

非常に便利なフリーソフトがあり、操作も簡単です。出来上がりは上々で、送った人の幾人かからは、すごいとお褒めの言葉をいただき、うれしく思います。

やはり、年賀状は、自分の一方的な押し付けではなく、送られた相手が喜ぶことを考えた上で、誰も真似しないひねりのある年賀状が、記憶に残るものだと思います。

年が明けると年賀状の配達が始まります。学生時代はよくテレビで年賀状を持った配達員が一斉に動き出す映像を見ていました。赤い配達員が一斉に動き出す姿は年明けならではの映像です。

学生の中では、年明けの年賀状配達のアルバイトは時給の良いアルバイトだという話がありました。私自身何回か郵便配達のアルバイトを行おうか考えたことがありました。しかし、バイクを運転するための運転免許がなく、なかなか踏ん切りがつかなかったこともあり、一度も配達のアルバイトはできませんでした。

そのため、実際どのような配達なのか分かりませんが、配達以外でも年賀状の仕分けなどのアルバイトもあったのではと今では思います。

もし、仕分けなどのアルバイトがあったのなら一回はやってみたかったと思っています。

どのくらいの数の年賀状が集められているのか、どこの地域に配る年賀状が多いのかなど、郵便局のアルバイトを行っていないと分からない事を学んで見たかったです。

年賀状は若い時分には必要性が感じられないものでした。ニュースでも若者の年賀状離れとよく聞くようになり、私自身年賀状なんて出すことはないと思っていました。しかし就職するとそうも言えず、会社関係の上司同僚など礼儀として出すべきという風潮には逆らえず、就職一年目の正月から年賀状を作り始めました。

大学入学で上京して以来、地元の友人たちともすっかり疎遠になっていましたが、この初めて年賀状を作るタイミングでふと懐かしくなり住所がわかる限りの友人に年賀状を出してみました。

今の私の住所自体知らない人ばかりなので正月に私のポストに友人たちから年賀状が来ることはありませんでしたが、正月から数日たったあたりでぽつぽつと返事がありました。

地元にとどまっている者、同じく上京している者、いろいろといましたが子供もできている奴もいたり仕事上の相談に乗ってくれそうな奴がいることもわかりました。

年に一度の機会ですが何か気兼ねをすることなく出せる年賀状のお陰で友情をつなぐことができたのではないでしょうか。

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ