心を込めた手書きの年賀状を送りたい

年賀状を私自身が受け取る場合には、あいさつ文や挿絵等がすべて印刷で手書きの文章がひとつもない場合には年賀状をいただけて嬉しいと心から喜べません。

やはり多少なりともどこかに手書きの文章が欲しいものです。どれだけ短文であろうとそちらのほうが心が篭っているような気がするものです。

そのため私が年賀状を送る場合には必ず手書きで作成します。あいさつ文から近況報告、その他一言をすべて自身で書くのです。そしてもちろん送る相手によって、一言コメントは変わります。ちゃんと相手に対して心の篭った年賀状を送るようにしているのです。

私が送られて嬉しいと思う年賀状を相手にも送ることで、一年の初めを少しでも気分よくスタートしてもらえればと思います。一年の計は元旦にありますといいますが、年賀状こそ一年の一番最初に見るものとなります。そのためたかが年賀状ではなく、きちんとしたものを送りたいものです。

そういったことを心がけ、年末には毎年年賀状を作成している私です。

私は小学1年生の時に、仲が良かった友人から『ドラえもん』の存在を教えてもらいました。今となっては信じられないような話ですが、当時まだ『ドラえもん』はマイナーな漫画で、これからようやくアニメ化されるといったような状況でした。

私はこの友人とすっかり『ドラえもん』にはまってしまい、ついには藤子先生たちのように、合作での漫画を描き始めることになってしまったのでした。藤子先生たちが漫画を描き始めたころ、憧れの手塚治虫先生に何度も手紙を送ったという話を知ると、自分たちも憧れの藤子先生に手紙を書いてみようということになり、二人で盛り上がっていたことを今でも覚えています。

私と友人はそれぞれ別々に、先生に憧れて漫画を描いているといった内容の手紙を書き、送りました。私にとっては初めてのファンレターで、書いているだけでドキドキし、ポストへ投函する際には何度も何度も字が間違えていないか確かめました。

そして、それから1、2か月経ちましたが、先生からはなんの音沙汰もなく、子供ながらにそんなものだという諦めの気持ちでいました。そんな矢先、その翌年の正月に憧れの藤子先生から年賀状をいただいたのでした。

手書きではなく、プリントされたものでしたが、私は飛び跳ねるほど喜びました。友人にも同じ年賀状が届いたのですが、二人でガッツポーズしたのは当時の良き思い出です。

小学生だった頃、好きな子に年賀状を出すのがドキドキだったのを覚えています。

まだポケベルも携帯電話も無い時代。はがきや手紙が、唯一相手に気持ちを伝える手段でした。年賀状を出そうかやめようか、両親に見られずにどうやって出そうか、そんなことを本気で悩んでいました。今ならメールで「あけおめ~」なんて、気軽にできるのでしょうね。

はがきに一生懸命絵を描き、「あけましておめでとう」とだけ書くのが精一杯でした。友達に出す年賀状の中に、そっと忍ばせ、郵便局に持って行きました。

年が明けると返事が来るかどうか、またドキドキです。親や兄弟に見られないよう真っ先にポストに年賀状を取りに行き、確認していました。好きな人からの年賀状を見つけると、「あけましておめでとう」と鉛筆で書かれたそっけない物でも、嬉しかったものです。返事が来ないと、がっかりして「まあ年賀状だし」と自分に言い訳してました。

たかが年賀状一つで一喜一憂していた、私の小学生時代。今考えるとかわいいものでした。

会社に勤めていた頃、年賀状の宛名書きをしていました。書道が上手なので、選ばれたわけではなく、総務部の仕事の一部だったのです。私は、書道を習っていましたし、書く事が好きなので、苦になりませんでした。ただ、緊張感は、個人で書く年賀状とは違いかなりありました。1000枚近く手書きをしていたと思います。

すでに多くの年賀状は、パソコンで印字という年賀状が多い中、やはり印刷より心がこもっているという事でしたので、書いていました。

確かに、印刷は味気ない気がします。ただ、その年賀状は、会社代表として見られるわけですし、枚数だけ書けばよいという訳ではありません。宛名書きの時は、かなり緊張します。ですので、個室にこもって、書いていた日もありました。同僚達と机を並べての作業ですと、雑談もありますし、雑音もあり、集中出来ないためです。

筆はサインペンとは、感覚が違いますが、1年に1度の仕事。心を込めて、1枚1枚書き、書き上げた時は、達成感がありうれしかったです。

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